もっと深く知ろう!? 日本の開運縁起の源“七福神”で万事如意!

金運を良くしたい!

今も昔も変わらぬ庶民の願い! その強い思いが七福神を生み、そして育んだ!

恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋、福禄寿、寿老人――言わずと知れた七福神は、七柱の福の神の総称です。室町時代末期に発祥し、今なお根強く信奉される七福神信仰は、経典「仁王経(にんのうぎょう)」に説かれる教え「七難即滅、七福即生」から生まれました。七難(①太陽の異変 ②星の異変 ③風害 ④水害 ⑤火災 ⑥干害 ⑦盗難)が直ちに消滅し、七福(①寿命 ②裕福 ③人望 ④清廉 ⑤愛慶 ⑥威光 ⑦大量)がたちどころに生じるというこの教えには、少しでも良い暮らしをしたいという今も昔も変わらぬ庶民の願いが如実に反映されています。

因みに神様の数え方は一人(ひとり)二人(ふたり)ではなくて、柱の字をあてて一柱(ひとはしら)二柱(ふたはしら)と数えます。

 

七福神は7柱の神様で構成された幸運ユニット!それぞれの神様が得意な御利益を持ち寄っているので、こと開運祈願に関しては七福神に祈願するだけでも良いくらいです。

【商売繁盛】【大漁追福】手に持つ竿で幸運を釣り上げる恵比寿!

七福神の中で唯一、日本の神に由来する恵比寿(恵比須尊天)は、伊耶那岐命(イザナギノミコト)と伊耶那美命(イザナミノミコト)の子 蛭子命(ヒルコノミコト)を祀ったものです。また、出雲神話に登場する大国主命(おおくにむし)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)であるという異説もあります。手にした釣竿と抱える鯛に象徴されるように漁業の神として信奉を集め、現代では商いの神として商売繁盛を願う人達に信仰されています。大黒天と対になり、双福神と呼ばれることもあります。

【五穀豊穣】【財運招来】打ち出の小槌で実りと財運を授ける大黒天!

大黒天は仏法守護の守護神としてインドより伝来し、神道の神である大国主命(オオクニヌシノミコト)と結びついた神仏習合の神です。大きな米俵に乗り、肩に背負う袋が象徴するように農業の神として五穀豊穣を叶える農業の神として篤い信仰を集めてきました。手にした打ち出の小槌から財運を招く神としても信奉されています。また、インドでは台所の神とされ、それが伝教大師最澄によって日本に伝えられ、比叡山を始めとする天台宗寺院では台所に大黒天が守護神として祀られています。

【除災厄除】【諸願成就】雄々しき威徳で邪気を討ち祓い願いを成就する毘沙門天!

独尊では毘沙門天、四天王の一尊として「多聞天」とも称される毘沙門天は、七福神の中で唯一、武将の姿をした勇ましい神です。因みに、サンスクリット語の多聞という言葉を音写すると毘沙門となります。“多聞”とは全てを聞き漏らさぬ知恵者のことで、甲冑に身を固め、右手に宝棒、左手に宝塔を持ち、貴家に仇なす悪鬼や邪気を討ち祓い、諸願成就へと導くとされます。更に勝負事にも御利益があるとされ庶民に親しまれている毘沙門天。こうした信仰の発祥の地は平安時代の鞍馬寺であったとされます。

【良縁成就】【智慧財宝】美しい琵琶の音色で良縁や金運をもたらす弁財天!

七福神の中で唯一の女神 弁財天。ヒンドゥー今日の河川(水)の女神サラスヴァティーが仏教に帰依した後に伝来し、当初は伎芸(歌舞・音曲)の神として弁才天と呼ばれていました。やがて財宝に縁の深い吉祥天の一面が取り込まれ、いつしか弁財天と呼ばれるようになりました。他のインド伝来の神と異なり、日本の神となっても余り姿を変えていないのが弁財天の特徴で、サラスヴァティーと同様に琵琶を携えています。また、金運の象徴とされる白蛇は弁財天の使者と信じられています。

【笑門来福】【家内円満】大きな袋一杯に詰め込んだ宝物を人々に分け与える布袋!

七福神の中で唯一、実在する人物である布袋(生年不詳~917年頃)は、唐代末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)で弥勒菩薩の化身として崇められた釈契此(しゃくかいし)という禅僧がモデルとされます。釈契此は太鼓腹も露わな姿で大きな袋(堪忍袋)を背負い、笑顔を絶やさず、子供たちにも慕われ、袋に詰め込んだ宝物を信仰の篤い人に分け与えたとされます。このことが布袋(布袋尊)と呼ばれるようになった由来です。没後、間もない頃より夫婦円満や子宝を授け、笑いの絶えない家庭を叶える福の神として信仰を集めています。

【延命長寿】【立身出世】福・禄・寿の三つの徳により末永い幸を授ける福禄寿!

福(幸福)、禄(身分)、寿(寿命)という三つの徳を備える、南極星(南極老人星)の化身とされる中国道教の長寿神が福禄寿です。短身で長い頭に長い顎鬚、大きな耳たぶを持ち千年の時を生きた仙人とされます。鶴と亀を引き連れ、左手に宝珠、右手には巻物を括り付けた杖、腰に瓢箪をぶら下げる招徳人望と長寿の神として信奉されています。また、冥界を支配する十王の中の泰山府君(たいざんぶくん)であるとの異説もあり、日本でも平安時代から室町時代にかけて陰陽師が福録息災延命を祈る泰山府君祭が盛んに行われました。

【無病息災】【富貴長寿】健康で長寿、富貴溢れる家庭を叶える寿老人!

福禄寿と同様、中国道教の神で南極老人星の化身とされる寿老人。南極星とはりゅうこつ座α星カノープスのことで、この星は太陽を除けばシリウスに次ぐ全天で2番目に明るい恒星です。白髪で常に微笑みを絶やさず富貴と無病息災を授けます。手に持つ杖には経文が括り付けられ、齢1500歳の黒い鹿を伴い、長寿の証となる桃を持ち、懐に忍ばせた扇子を振れば厄難をたちどころに討ち払うとされます。ご家族皆様の病難の悩みを癒し、健やかで末永い幸福を授けてくださるありがたい福の神です。

ご存知ですが? 七福神から脱退させられた福の神、八人目の福の神!

今でこそ七福神といえば恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋、福禄寿、寿老人の七柱と決まっていますが、江戸時代の半ば頃までは様々な異説がありました。基本的に南極老人星の化身である福禄寿と寿老人を同一神と看做し、その代わりに寿老人の代わりに吉祥天や中国の神獣である猩々(しょうじょう)を加えたものです。また、弁財天の代わりに吉祥天を加えるという説もあります。これは吉祥天の夫とされる毘沙門天に弁財天が恋をしてしまい、それはけしからんということで弁財天を追い出し代わりに吉祥天がその座を射止めたものです。このことから弁財天は嫉妬深い神とされ、吉祥寺の井の頭公園でボートに乗ったカップルは池のほとりの弁財天が焼きもちを妬くから別れてしまうというエピソードまであります。

更に大正時代にはアメリカ生まれのラッキーゴッドであるビリケンさんを加えて八福神とする説まであったそうです。

七福神巡りのご紹介!


全国には様々な七福神巡りがありますが、御朱印集めの流行も伴って昨今ではかなりの人気となっています。やはり、コンパクトに巡れて沢山の福を授かることが出来るのが人気を呼ぶ最大のポイントなのだと思います。

ここでは日本最古の七福神巡りとされる谷中七福神をご紹介させて頂きます。

谷中七福神巡り公式サイト

谷中七福神は東京の台東区、荒川区、北区の七つの寺院に祀られている七福神のことで、凡そ250年前に始まったとされる最古の七福神です。他の七福神では神社も入ることが多いのに比べ、その全てが寺院であることも特徴となります。

寛永寺(不忍池弁天堂):弁才天
護国院:大黒天
天王寺:毘沙門天
長安寺:寿老人
修性院:布袋
青雲寺:恵比須
東覚寺:福禄寿

毎年1月1日から10日に開催される巡礼期間には寛永寺の弁財天以外は御開帳され、直接ご尊顔に拝することができますので大変な賑わいとなります。総長で約6kmの道程となります。寄り道をしないのであれば1時間半から2時間程で移動できる距離ですが、この期間だけは時間に余裕を持って臨む必要があると思います。初詣に七つの福を授かる、何ともおめでたい気分になれるおすすめのコースです。

 

いかがでしたか?七福神は個々の神様も単独で信仰されている方もたくさんいらっしゃいますが、7柱まとめての信仰で人生におけるすべての開運縁起を祈念できる合理的で素晴らしい神様です。

幸運メンタル研究所主宰 アントニオTK

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昭和39年生まれ。 平成の始まりとともに風水や易学をテーマにした開運グッズの開発に携わる。師は易学界の重鎮 故・髙島崇圓。風水学、観相学、九星気学界の大御所...

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